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2011年5月28日土曜日


現メンバー(年齢順)
小山慶一郎(こやま けいいちろう、1984年5月1日 - 、O型) - イメージカラーは
錦戸亮(にしきど りょう、1984年11月3日 - 、O型) - イメージカラーは
山下智久(やました ともひさ、1985年4月9日 - 、A型) - イメージカラーは
増田貴久(ますだ たかひさ、1986年7月4日 - 、O型) - イメージカラーは黄色
加藤成亮(かとう しげあき、1987年7月11日 - 、A型) - イメージカラーは
手越祐也(てごし ゆうや、1987年11月11日 - 、B型) - イメージカラーはピンク
元メンバー
内博貴(うち ひろき、1986年9月10日 - 、AB型)
草野博紀(くさの ひろのり、1988年2月15日 - 、B型)
森内貴寛(もりうち たかひろ、1988年4月17日 - 、A型)


コヤマP
小山と山下のコンビ。恋のABOの最初のコールやセリフを考案。(「コヤマP」名義)
ユニットオリジナル曲に銀座ラプソディがある。
テゴマス
手越と増田のコンビ。シングルとアルバムも出している。スウェーデンではTegomass名義。
ユニットオリジナル曲はテゴマスを参照
コヤシゲ
小山と加藤のコンビ。結成理由はテゴマスに対抗したいとのこと(本人談より)
ユニットオリジナル曲にチラリズムムラリスト・アリバイがある。
LIVE!LIVE!LIVE!NEWS DOMEPARTY2010で曲『言いたいだけ』を披露した。

バレーボールの国際大会である『バレーボールワールドカップ2003』のイメージキャラクターとして、ジャニーズJr.の中から、山下を中心に、関東で活動していた小山・増田・加藤・手越・草野・森内、関西を中心に活動していた錦戸・内がメンバーに選ばれ、9人編成で結成する。グループ名は「新しい情報」という意味のほか、「North」「East」「West」「South」の頭文字をつなげており、東西南北に国際的な活躍をしていくよう期待が込められている[1]。デビュー当時、一部マスメディアで「NewS」と表記されたが、正式な表記は「NEWS」である。

メンバーには大会期間中の限定ユニットであると説明されていたが、活動はその後も継続した[2]。東京と大阪、二つの都市を拠点とするメンバーが混在しているため、当初は状況によって9人の中から7人が選ばれて活動する体制を取り、2003年末に森内が脱退したのちは8人体制で活動するようになり、2007年1月より正式に6人での活動となる。

結成当初より錦戸は関ジャニ∞と並行して活動を行う。山下は2005年・2006年と期間限定ユニットに所属し、ソロでもCDリリースするなど活動の幅を広げた。また、2006年末より、増田・手越はヴォーカルユニット・テゴマスを結成し、活動を始めた。

今までにドラマ主題歌を手掛けたことがなかったが、加藤が主演する2010年4月期ドラマ『トラブルマン』にて、初めてのドラマ主題歌となる「BE FUNKY!」を手掛けた。 ※映画では手越が吹き替えの主人公の声優を努めた『ハッピーフィート』の主題歌「星をめざして」と山下主演の「クロサギ」の主題歌『太陽のナミダ』と2つある。


2003年
9月15日、新高輪プリンスホテル「飛天の間」で、結成披露の記者会見を行う。
11月7日、『バレーボールワールドカップ2003』のイメージソングを含む、シングル『NEWSニッポン』でデビュー。このCDはセブン-イレブン独占販売という異例の販売方法がとられた。
12月、森内が学業に専念するとの理由で休業・脱退[1]。以降、8人での活動となる。
2004年
5月12日、『アテネオリンピックバレーボール世界最終予選』のイメージソングを含む、シングル『希望〜Yell〜』でメジャーデビュー
2005年
7月16日、内が不祥事を起こした事により芸能活動の無期限謹慎処分を受け、以降7人での活動となる。
2006年
1月31日、草野が飲酒疑惑騒動により芸能活動を自粛し、以降6人での活動となる。
4月1日、関ジャニ∞KAT-TUNとの3組合同ファンクラブ、「You&J」が発足される。
5月1日より、内の芸能活動謹慎処分・草野の芸能活動自粛に伴い、連帯責任という形でグループ単位での活動を2006年内いっぱい休止。以降、メンバーはソロや新ユニットを中心に活動する。尚、4月30日に行われた仙台公演の前日、ステージの設営の際スピーカーが落下し、スタッフが怪我をするというアクシデントがあったが、公演はそのまま行なわれている。
12月30日、小山・錦戸・山下・増田・加藤・手越の、6人でのグループの活動再開と、内・草野がジャニーズ事務所の研修生となる事が、公式サイトのJohnnys netおよびJohnny's Webで発表された。また、各マスメディアは両名のグループからの脱退を報じた。

2007年
1月1日、『ジャニーズカウントダウン2006-2007』に出演し、活動を再開する。
3月21日、活動再開後初のシングル『星をめざして』を発売。この曲は、手越が声優に初挑戦した映画『ハッピーフィート』のイメージソングである。
10月6日・7日、台湾の台北アリーナにて、日本国外では初の単独公演を行う予定であったが、台風の接近に伴い6日の公演は中止となり、急遽7日の昼に延期とした。延期に伴い、メンバーからコメントが発表された。なお、公演が行われた7日は、混乱を避ける為コンサートグッズの販売を行わず、13日・14日の2日間に別の会場にてグッズ販売を行った。
12月15日から2008年にかけて「NEWS CONCERT TOUR pacific 2007-2008」を公演。このツアーで、初の東京ドーム単独公演が1月9日・10日に行われた。
2008年
10月25日から2009年にかけて「NEWS WINTER PARTY DIAMOND」を公演。
2009年
8月29日・30日、毎年夏放送の日本テレビの「24時間テレビ 愛は地球を救う」の第32回メインパーソナリティーを務める。しかし、31日に錦戸、9月1日に山下がインフルエンザA型に感染する事態が起きた。その後、共にそれぞれの出演ドラマで復帰した。
2010年
9月18日から9月28日にかけて「LIVE! LIVE! LIVE! NEWS DOME PARTY 2010」が行われることが発表された。
9月15日にはニューアルバム「LIVE」が発売された。なお、発売日はNEWS結成日である。

KAT-TUNとは芸事務所ジャニーズ事務所所属のアイドルグループである。

概要

 グループ名はメンバーの頭文字をつなげたもので、ハイフンはファンを示している。「カトゥーン」が正しい読みだが、「カツーン」、「カッツン」等の読み間違えが多い。

 リーダーは不在(結成当初は上田也)。

 フジテレビお笑い番組「はねるのトびら」で2006年ごろに放映されていた「おじいちゃんといっしょ」というコーナーにおいて、「KAT-TUN覚え歌」というメンバーの名前を覚えるための歌(細川たかしの「北場」の替え歌)が秋山森乃進というおじいちゃんにより毎回歌われていた。2006年KAT-TUNCDデビューした年であり知名度も低かったため、この歌でKAT-TUNの各メンバーを知った者も多い。秋山森乃進を演じていたのはお笑いトリオロバート」のメンバーである秋山

メンバー

亀梨和也(K→KA)
好きな食べ物はイカ、嫌いな食べ物はトマト小学校のとき、野球日本代表に選ばれたことがある。
イメージカラーピンク
西仁(A)
特技はサッカーリフティングの最高記録は838回。
二度の芸活動休業に伴い2010年7月16日ジャニーズ社長より脱退方針である事が発表されている。
イメージカラー
田口介(T)
「入り口、出口田口です」というつかみのギャグを持つ。
イメージカラーオレンジ
田中聖(T)
は短い坊。趣味は洋やスニーカーリメイク。楽曲のラップパートを作詞し、自ら担当する。
イメージカラー
上田也(U)
特技はボクシングギター
イメージカラー
中丸雄一(N)
取り柄はHBBヒューマンビートボックス)。極度のあがり症で、よく噛む
イメージカラー

『NEVER×OVER ~「-」 IS YOUR PART~』に関する騒動

 彼らが歌う楽曲『NEVER×OVER ~「-」 IS YOUR PART~』。2010年11月リリースされたCDに収録されていたこの曲は、2010年2月ニコニコ動画に投稿されていた巡音ルカオリジナル曲『DYE』と類似していた。2010年11月末頃よりこの事が話題となった。
 詳細は『DYE』の動画記事単語記事NEVER×OVER」を参照のこと。


2001年に結成し、2006年3月22日にメジャーデビュー。2010年に赤西が脱退し、現在は5人で活動中。

グループ名はメンバーの名字のイニシャルをつなげたもので、「勝運」や、「漫画のように、1ページ読むとまた次のページが読みたくなる」という意味から「cartoon」(漫画)にもかけている。また、ハイフン

ファンを意味している。



グループ名の由来であるイニシャル順に記す。先頭のアルファベットは、該当のイニシャルである。

KA 亀梨和也(かめなし かずや、1986年2月23日 - B型) イメージカラーはピンク。

T 田口淳之介(たぐち じゅんのすけ、1985年11月29日 - AB型)イメージカラーはオレンジ。

T 田中聖(たなか こうき、1985年11月5日 - B型 )イメージカラーは黄。

U 上田竜也(うえだ たつや、1983年10月4日 - B型)イメージカラーは青。

N 中丸雄一(なかまる ゆういち、1983年9月4日 - O型)イメージカラーは紫。

元メンバー
A 赤西仁(あかにし じん、1984年7月4日 - O型 )イメージカラーは赤



結成

2001年3月16日、音楽番組『ポップジャム』(NHK)の司会を務めていた堂本光一の専属バックダンサーとして、ジャニー喜多川の鶴の一声で結成する[1]。2001年3月30日放送のミュージックステーションSPでTV初登場。

2002年8月、大阪松竹座で行ったコンサート「お客様は神サマー Concert 55万人愛のリクエストに応えて!!」の2日目に1日11公演を行った。

2005年1月、赤西と亀梨が出演したテレビドラマ『ごくせん』第2シリーズが平均視聴率25%を超えるヒットとなり、それに伴いグループの知名度を高めた。11月、『2005年ワールドグランドチャンピオンズカップ』の応援プロデューサーに就任する。

メジャーデビュー

2006年3月17日、東京ドームでコンサート「KAT-TUN SPECIAL TOKYO DOME CONCERT Debut "Real Face"」を行う。CDデビュー前のアーティストによる単独ライブは、同会場史上初である。3月22日、1枚目シングル『Real Face』、アルバム『Best of KAT-TUN』、DVD『Real Face Film』でトリプルデビュー。KAT-TUNのためにジャニーズ系のレコード会社、J Stormの内部に立ち上げられた新レーベル、「J-One Records」からの発売となる。3作品がそれぞれオリコンチャートで1位を飾った事に加え、有線リクエスト、着うたダウンロードでも1位を獲得し、5冠を達成した。また、4月にはシングルがミリオンセラーを達成した。『Real Face』の作詞はスガシカオ、作曲は松本孝弘(B'z)。4月3日、NEWS関ジャニ∞との3組合同ファンクラブ、「You&J」が発足される。7月19日、2枚目シングル『SIGNAL』をリリース。オリコンシングルチャート初登場1位を獲得。

赤西の活動中止

10月12日、赤西仁ロサンゼルスへ語学留学するため芸能活動を休止する事が発表され、当面5人での活動となる。12月7日、3枚目シングル『僕らの街で』をリリース。オリコンシングルチャート初登場1位を獲得。作詞作曲は小田和正

2007年4月4日、KAT-TUNにとって初の冠レギュラー番組、『カートゥンKAT-TUN』が放送開始。4月18日、『cartoon KAT-TUN II You』をリリース。オリコンアルバムチャート初登場1位を獲得。



赤西の復帰

4月19日、赤西仁が語学留学先のロサンゼルスから帰国。翌20日にメンバー全員揃って帰国会見を行い、芸能活動復帰を表明した。以降再び6人での活動となる。会見では翌日の仙台公演から全公演に帯同し、ファンへ挨拶するだけの予定だったが、アンコールで歌を2曲披露した。大阪公演からは、赤西仁のコンサートグッズを販売。完全復帰(フル出演)となった東京ドーム公演のみ、パンフレットをはじめ、写真入りの全グッズがこれまで販売されていたものから6人仕様に差し替えて販売された。

6月6日、4枚目シングル『喜びの歌』をリリース。オリコンシングルチャート初登場1位を獲得。11月21日、5枚目シングルとなる『Keep the faith』をリリース。この曲は作詞作曲は氷室京介(詞はSPINと共作)。12月3日付のオリコンシングルチャート初登場1位を獲得。発売1週目の売上としては2007年シングル1位を記録。デビュー以来続く初動売上で30万枚を超えるのはこれで5作連続となった。同所属事務所の先輩にあたるKinKi Kids以来、約9年ぶり、史上2組目の快挙となった。12月24日 - 25日、『第33回ニッポン放送ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』(ニッポン放送)の司会を担当。(メインパーソナリティは同局で番組を持っている田口淳之介赤西仁

2008年2月6日、6枚目シングルとなる『LIPS』をリリース。オリコンシングルチャート初登場1位を獲得。5月14日、7枚目シングルとなる『DON'T U EVER STOP』をリリース。オリコンシングルチャート初登場1位を獲得。6月4日、3枚目アルバムとなる『KAT-TUN III -QUEEN OF PIRATES-』をリリース。オリコンアルバムチャート初登場1位を獲得。8月2日〜5日に3度目の東京ドーム公演を行う。4日連続公演は日本人ミュージシャンとして史上初。X JAPANが持っていた連続公演記録を約16年7ヶ月ぶりに塗り替えた。12月3日、8枚目シングルとなる『White X'mas』をリリース。オリコンシングルチャート初登場1位を獲得。

2009年2月11日、9枚目シングルとなる『ONE DROP』をリリース。オリコンシングルチャート初登場1位を獲得。3月11日、通算10枚目シングルとなる『RESCUE』をリリース。2ヶ月連続リリースとなる。オリコンシングルチャート初登場1位を獲得。4月29日、4枚目アルバムとなる『Break the Records -by you & for you-』をリリース。オリコンアルバムチャート初登場1位を獲得。

5月15日〜21日に7日間連続東京ドーム公演を行い、連続公演新記録を作る予定だったが、当初38万5千人の定員に対し倍以上の84万8344人の申し込みが殺到し、急遽追加公演が決定した。7日間連続が1公演追加で8日間連続に変更され、更に記録を伸ばす事になった。予定になかった大阪でも京セラドームで5月29日〜31日に3日間、6月14,15日に東京ドームで更に2公演追加があり、計13公演で68万5000人動員する事が決定した。7月22日〜8月23日、「KAT-TUN SUMMER'09 Break the Records」を6都市28公演で行う。

赤西の脱退

2010年2月10日、11枚目のシングルとなる『Love yourself 〜君が嫌いな君が好き〜』をリリース。オリコンシングルチャート初登場1位を獲得。5月2日〜8月28日、「KAT-TUN LIVE TOUR 2010」を開催。ただし、赤西仁はツアーに不参加。5月12日、12枚目のシングルとなる『Going!』をリリース。6月16日、5枚目のアルバムとなる『NO MORE PAIИ』をリリース。オリコンアルバムチャート初登場1位を獲得。

7月16日、赤西仁は正式脱退の方針であると東京ドームでのライブ開始前にジャニー喜多川社長から発表された。7月20日、赤西仁が公式携帯サイトのKAT-TUN'S MANUALにてソロ活動を発表。8月31日、公式サイトのプロフィールから赤西の名前が消え、赤西単体の公式サイトが開設される。

11月17日、13枚目のシングルとなる『CHANGE UR WORLD』をリリース。

 

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